解決……?

2003年1月19日
メールの量が極端に減ったから、「あれ」とは思っていたのだけれど、やっぱり”そう”だったみたい。

今日はどうしてもサフィとは話したくなくて、でもおしゃべりはしたかったから、別の人に「おしゃべりしたいなり」ってメールを出した。
その人とは、サフィともめている話(喧嘩しているわけじゃないけれど、触れたくない話題)以外でも、色々と話ができる人だし、なにより、それについて、わたしが流せる程度の関係だから、気は楽。
それで2時間くらい、「薔薇の名前」や榎木津の話やらでしゃべっていたら、2時を過ぎてもサフィがまだネットにいる、っていうのに友人が気づいた(彼女はサフィとも友人)。
わたしがネットに入った時からサフィはいて、いつもならすぐ向こうから話しかけてくるのだけれど、今日はそれがなかった(しかも、ずっとオンラインなのに)。わたしはその理由がわかったのだけれど、しゃべっていた友人には関係のないことなので黙っていた。
どうせ、笑われるのはわかっていたし……。
「呼んでいい?」と友人が聞いたので「どちらでも〜」とわたしは答えた。それからメッセにサフィが入ってきて、多分、わたしがいたことにどうしようかと悩んだらしい(笑)。反応が鈍かった(笑)。
話はするものの、サフィは明らかにわたしを避けて(笑・というより、わたしの逆鱗に触れないように控えて)いた。
友人と話したり、他の友人からもらったメールで思考転換ができていたけれど、それでもやっぱりまだわだかまりのようなものはあったのだと思う。
1と0の信号しか伝達しないパソコンなのに、距離と気まずい空気まで伝わってきていた。

途中、友人が電話が来たからと落ちて、メッセに二人だけ残った。
そうしたら、サフィが「気まずいだろうからお開きにしようか」と言ってきた。
あれ、と思って話を聞いたら、やっぱり昨日のことで、「地雷を踏んだ」と思っていたらしい。
別のところで書いている日記に、昨日のメッセ終了後に「鬱」と書いたのを、読んでいたらしい。
……そっちで書いた話題をふっても、まるきり反応がなかったから、てっきり読んでいないと思っていたのに……(苦笑)。
そこから話をして、とりあえずは解決したと言ってもいい状態になった。
もちろん、まだそのことについては触れられたくないし、話したくもない。
いまだにサフィに会いたいとも思わないし(自分で何を言い出すか、怖くてたまらないから)。
でも、色々とオブラートに包みつつ(笑)、普通に話せる程度にまでは復活したから、大丈夫なのだと思う。
「慣れない気なんか遣うもんじゃなかった」とサフィは言ったけれど、ある意味、それは正解だったと思うよ、わたしは(笑)。
メッセで話したことが、わたしの気持ち全てではないから。サフィを尊重した、ぎりぎり最低ラインのところまでしか、話はしていないのだから。
でも、もうそれは言うまい。

今日になってから、サフィの日記を見たら、そのことについて少し触れられていた。
少なくともわたしは、サフィにとって、
「きられるのは想像するだに動悸息切れがするくらい(笑)やだなー」
と思うレベルの友人であることがわかった。
サフィの、友人に対するスタンスや定義をわたしは知らないから(それは、サフィがわたしのそれをわからないのと同じ)、それがどの程度なのかはわからない。
それでも、素直に、そのことだけは嬉しいと思った。

そんなわけで、今日はもう元に戻って普通に、そして傍から見れば異常な量の(苦笑)、携帯でメールをやりとりしています。
とりあえずは、こんな感じ。

やつあたり

2003年1月18日
サフィとわたしはいくつか共通の趣味を持っているのだけれど、それでもそれぞれの好みについてはまるで違っている。
大きいカテゴリでは同じモノが好きなのに、それを細分化していくとことごとく違うのもまた面白いとは思う。それでやっていけるのは、二人ともお互いを尊重しているからだ。
けれど、わたしもサフィも、ひとつ欠点がある。
ひとつのことに思考のベクトルが傾くと、それが相手にとって不快であることを忘れてしまうことだ。「Love is blind」というのではなく、「きゃー!」と大興奮して、大騒ぎしてしまう。
わたしも、サフィに対してやっていることだから、どうこう言える立場じゃないのはわかっているのだけれど、今回は、それをサフィにやられてわたしがむっとしている状態。
「やめて」って言えればいいのかもしれない。
だけど、それを言うこと自体がわたしにとっては耐えがたい屈辱でもあるので、それは言わない。見栄っ張りなの。「なんとも思ってませんよ」って、「平気ですよ」って顔をしていたいんだもの。
だから、言えないし、言わない。
2回くらい、いつもとは違う反応を返したのだけれど、サフィがそれに気づいたかどうか。
気づかないほどお馬鹿さんじゃないとは思うものの、気づかれない程興奮している可能性もある。
というより、これほどまでにわたしが傾倒していたとは、わたし自身がわかっていなかったから(だって、そのことで泣くとは思ってもいなかったんだもの)、それを考えれば仕方のないことなのかもしれない。
それでもやっぱり、腹の立つことって言うのはあるもので。
ある意味、サフィに八つ当たりしている、ということはわかっているのだけれど。でもやっぱり、わたしが嫌なことで目の前でサフィに喜んでほしくないし。
だから、つい半日前まで、会いたいって思っていた気持ちが今はまるでなくて、むしろ会いたくない。
結構重症かも(笑)。
とは言うものの、見たくないのは顔だけで、メールだけなら欲しいな、と思っているから性質が悪い(苦笑)。
だって仕方がないのだ。
メールだったら、いくらでも「(笑)」なんて言葉を嘘でも書けるけど、実際に会ったら、そういう嘘はつけないから。ポーカフェイスなんていう上等なテクニック、わたしが持てるはずもない。
だから会いたくない。
あと一週間もしたら、わたしも気持ちが落ち着くとは思う。
でも今はだめ。

今のこういう鬱屈した思いを言える人が身近にいないから、どうしてもここに書いてしまう。
相変わらず、ネガティブな文章ばっかりで自分でもいやになってくるのだけれど。
でもきっと、これから先もサフィ絡みで一喜一憂はするだろうし、怒ることも、泣くこともするんだろうな。
わ、考えただけで憂鬱になってきた(笑)。やめようっと。

永く想うこと。

2003年1月5日
新しい年はいつもドキドキする。
これから一年の間に、どんなことがあって、何を考えて、どういう風に感じるのか、そういうことが、とても楽しみ。
今年は特に、来年に待ち構えているコトがとにかく嬉しくてたまらないし、期待している。
まだ1月で、松の内も終わっていないというのに、どうして来年のことでウキウキしているかというと(笑)、サフィと一緒に住む予定になっているからです。
これについてのネガティヴ話はまた書き直すとして、まずはポジティヴ話から(^^;

都合があって、多分2月には引越ししていないといけなくって、そのためには今年の夏くらいから、本格的に部屋探しを始めないといけないはず。
それに付随する準備やら何やらを思うと、今年から始動するんだなぁ、となにやらウキウキしてしまうの。

高校時代から、大学を卒業するまで、……卒業しても、かな? それくらいずうっと長い間、わたしは「相棒」という言葉にひどく憧れを持っていた。
「恋人」という存在よりも、「相棒」という存在が欲しくてたまらなかった。
ひとりでいることに耐えられなくて、生涯をともにしていける、そんな人が欲しかった。
ずっと毎日一緒にいなくても、何よりも誰よりもお互いを最優先している、それも意識的にでなくて、無意識のうちに、そう思っているような、そんな存在が欲しかった。
そう呼ぶに値するような人を得ている友人や知人が羨ましくてならなかったし、どうしてわたしにはそんな人がいないのだろうと、いつも哀しく、寂しかった。

ところが、去年一年、わたしはそんな風に思ったことがなかった。
あったのかもしれないけれど、少なくとも、胸が痛むほどの記憶としては残っていない。
それはもしかしたら、サフィが近くにいたせいなのかしら、と思う。
サフィが「相棒」になったことは一度としてない。
そうなってほしいし、今でも願っているけれど、それはまだ違うのだと思う。
そうであると言い切れるほど、わたしには自信がない。
それでも、サフィが近くにいてくれたことは、わたしにとってはとても嬉しかったし、幸せだった。
わたしが男だったなら、真っ先にサフィにプロポーズをしていたと思う(笑)。
それは、「恋人」になって欲しいから、というのではなくて、「パートナー」として、サフィをわたしが必要としているから。
「行為」をサフィとしたいから、サフィが欲しいわけでも、好きなわけでも、パートナーになりたいわけでもない。
それは違う。

死ぬまで一緒にいられる。

わたしにとってのパートナーとはそういう意味で、だからこその「相棒」という意味でサフィに傍にいて欲しい。
ネガティヴ話になるのだけれど、来年の同居の話をすると、母が必ず、「その前にサフィに恋人ができたり、結婚したりするかもよ」と冗談半分につっこんでくるのだ。
その度にわたしは、「かもねー」と笑い飛ばしているけれど、実際に、目はちっとも笑っていない。
だって、それこそ、今のわたしにとっての最大の恐怖なのだから。
多分、数年先に、必ず、そういう時はやってくるのだと思う。
わたしは、わたし自身にはそれがありえないことをわかっているけれど、サフィについてはわからないから。だから、というよりも、むしろそれこそ普通であるのだろう。
そうして、その頃のわたしは、それを容易に受け入れられるようになっているかもしれない。(それを成長と呼ぶのか、鈍化と呼ぶのかは知らないけれど)
ただ、現時点でのわたしは、それを想像することすらできないでいるから。
サフィの家族に申し訳ないと思いながらも、わたしはわたしとサフィが死ぬまで一緒に在ることを望んでしまっている。
願ってしまっている。
わたしの存在が不幸だというのなら、その不幸だという感覚を感じさせないくらい、思い出せないくらい、サフィを幸せにしたいと思う。
こんな状態が、一体いつまで続くのだろう。
「(あらゆることに対して)恋愛感情が湧かない」と言い放つサフィに、わたしの気持ちがどこまで伝わっているのか、理解されているのか、まだずっとずっと、悩んだり、苦しんだりはするのだろう。

それでも、サフィがいてくれたおかげで、去年のわたしは、「相棒」という言葉に悩まされることはなかった。
あっても、のた打ち回って苦しむほどではなかった。
だから、それは素直に嬉しかったし、サフィに対して感謝もしている。わたしよりサフィに近い場所で勤務していて、お夕飯をサフィと食べる時に、必ず声をかけてくれる友人の存在も大きかったのだけれど。彼女にも感謝なんだよね、ほんとうに。
今年の夏くらいから、サフィのことを「相方」と呼べるようにはなるけれど、それが真の意味になるのはいつか、そうして、サフィがわたしの望む「相棒」になってくれる日が来るのか、それはわからない。
わからないけれど、サフィは、ひとりぼっちが嫌いで、寂しがりやで、甘えたさんなわたしに神様が与えてくれた宝物なのかもしれない。
そんな風に思えるようになった。
シルバーの指輪だって、きちんと手入れをしてあげて、きれいで清潔な場所に保管してあげないと、あっという間に黒くなって、汚くなってしまう。
だから、今年は、わたしがサフィに、それからサフィ以外のわたしの大好きな人たちに、一方的でない、きちんとした想いを伝えられるようにしていきたい。
独り善がりの愛情ではなくて、相手を思いやれる愛情を注ぎたい。
そうして、サフィを、皆を、永く想えたらいいと思う。

One and Only

2002年11月28日
いちばんになりたいとか、
いちばんじゃなきゃいやだとか、
わたし以外に大事な人ができたら胸が張り裂けるとか、
そういうのってぜんぶ、ひどいおもいこみ。
どうして、今のわたしがいちばんだって言えるの?
どこから、そんな自信がやってくるの?
たかだかワン・オブ・ゼムに過ぎないでいるのに、
一方的に思っているだけでしかないのに、
どうやったら、わたしが大切な人であるって思っていられるの?
それはひどい傲慢じゃないの?
つまりそれだけの人なの。
しょせんその程度なの。
思い上がるのもいい加減にしなさい。

したいわけじゃない。
ただ一緒にいたいだけ。
ずっとずっと、傍にいたいし、いてほしい。
同じように思っているのなら、そうだという形がほしい。
なにもないでは信じられないの。
わたし自身が信じられないの。
それは、ゆるされないことなの?

はかる

2002年9月23日
金曜から、都合でサフィが我が家に泊まりに来ていた。
部屋がまったくもって片付いていなかったので、金曜日は半日かけて片付けた。布団干し→洗濯→干す→洗濯→干す→洗濯→干すから始まって、お風呂場、階段、自室、居間、パソコンのある部屋の掃除、と大忙し。シーツも洗ったから大変だった
……。
「あなたが来ると家が片付くから、しょっちゅうおいで」なんて、母親に言われる始末(苦笑)。

そして、土曜日の晩、とうとうサフィに言われた。
「定冠詞をつけたいほどの抱きつき魔」と(笑)。
それで、夏は暑いから絶対嫌だけど、そうじゃなければOK、という感じの言質も取った。ラッキィ♪(笑)
サフィがわたしのベッドで、わたしはその横の床にお布団を敷いて寝る。わたしが右手を伸ばして、ベッドの端をぽんぽん、と叩いたら、サフィがちゃんと手を出してくれて、それがすごく嬉しかった。
相変わらず、わたしが一方的に握り締めているだけにしか過ぎないのだけれど、拒絶はされていないだけでも御の字。とても嬉しい。
腰が痛くて、体の下に片手を入れて横になって寝ながら、残った手をわたしに差し出してくれたことは、翌日になって知った。そうやって、わたしを甘やかしてくれるんだなぁ、なんて。
「迷惑じゃない?」と、何度も何度も聞いてしまいそうになってしまったけれど、それで手を握ることができなくなってしまったら、とその度に恐くなって、結局聞けなかった。
多分、これからも聞かないだろうな。

わたしがサフィに「執着している」ということは、友人がわたしに言ってきた台詞をそのまま使うことで伝えられたし(笑)、今回は、かなり幸せな3日間だったように思う。
日中でも、「えぃ」と体重をかけてくる行動(遊びでよくやるようなの)が結構あったし、気温さえ高くなければ、わりと仲良くできるんじゃないかな、と思った次第(笑)。

サフィが、どれだけわたしに重きをおいているのか、生活におけるわたしの比重がどれだけなのか、わたしにはわからない。
わたしがサフィに執着していることをサフィが知らなかったように、サフィが抱いているわたしへの感情や執着の程度をわたしは知らない。
それを、はかる術をわたしは持っていない。
わかれたらいいのに、と思う。
そうしたら、余計な期待を抱くことも、迷惑をかけることもないだろうに。
でも、そうなったらそうなったで、きっと色々あがくんだろうな(苦笑)。

なんにせよ、この週末の幸せを感謝しながら、長く味わえるようにしないと(笑)
日曜の夜、大学時代の友人とネットでしゃべった。
彼とは、真面目な話もわりとするのだけれど(同時進行で、馬鹿話もする(笑))、どういうわけだか昨日は恋愛話に。
前々からサフィの話はしていたのだけれど、わたしがサフィを好きだ、ということは特に言っていなかった。ただ、わたしの口調で察したのか、わからざるをえなかったか(笑)のどっちかなんだろうけど、「自分の思い通りに行くなんて幻想だよね」なんてことを言われて、どきっとした。
彼は人生について、そういう風に言ったのだけれど、それは恋愛についても当てはまるし。
ちょっと、サフィを都合よく見てはいやしなかったかと、反省したりもした。
「これだけ愛情を示しているのにまだ足りないか!」とサフィに時々苦笑まじりに怒られたり、「ほんと完璧主義だね」とあきれられたりする。
それで、気が付いた。
もしかしたらわたしは、「もらうこと」ばっかりで、「渡すこと」をしていなかったのかもしれない、と。
物理的なプレゼントは好きでよくやるけれど(これは、サフィに限らず、いろんな人に。プレゼントを選ぶ時間が、わたしはとても好き)、言葉としてのプレゼントはあったかな、と。
ちゃんと、きちんと、「大好き」なこと、「とても大事に思っている」こと、「必要としている」ことを、言葉として、音にして、サフィに伝えていたのかな、と。思い当たらないと言うことは、きっとしていないんだろうなぁ。反省。
3年も経って今更、という照れもある。
でも、だからこそ、というのだってあるはずだし、それをサフィがどう捉えるかというのは別にして、言わなきゃならないことなんじゃないかな、と思った。
言うタイミングなんて知らないし、わからないし、すっごく困るんだけど、そういうのは(苦笑)、でも今度、サフィに会った時に、言ってみようかと思った。

それと同時に、サフィ以外にも、わたしを好きでいてくれる人、わたしが好きでいる人に、笑われてもいいからそういう気持ちを伝えたいな、と思う。
さりげなく言えるのが一番かっこいいのだろうけど、わたしにはそれは無理(苦笑)。

ハムスターズランチ

2002年8月30日
たまたま目に付いたというか、「人形の国のアリス」よりは安い、というだけの理由で買い始めた「ハムスターズランチ」。
もっとも、サフィがハムスター好きじゃなかったら買わなかったかもしれないけど(笑)。
近くのセブンイレブンで、旧版が100円で売っていたので、思わず3つ購入。
寝ているゴールデン、白いジャンガリアン、それからちっちゃいジャンガリアンがいるハムスターホィール。
3つめの、隠れフィギュアだったらしい。……うわ、罠。罠だこれは。絶対まだ買い集めそう。
そんなわけで、現在、わたしの机はぬいぐるみとアリスとハムスターにまみれている。

サフィとふたりで飲みに行くと、毎回「3人か4人いましたか?」というような金額が請求される(苦笑)。
そんなだから、「少食」とわたしが言っても信用されないんだよね(笑)。普段はほんとうに、人の3分の2が精一杯なんだけれど。……あ、でも、風邪を引いてから拒食症気味になっているから、そうでもないのかなぁ(^^;

実家住まいのわたしはまだいいけれど、一人暮らしをしているサフィにはつらいだろうなぁ、と思う。
どうやったら、経費削減(笑)ができるのか考えなきゃ。
前はわたしも月に1回程度だったからよかったけれど、ここ半年はずっとそんな感じだから、いい加減何とかしなきゃ、とは思っていたし。
色々、研究してみる価値はあるかも。

あとは、アルバイトのお給料が出たら、貯蓄をしていくつもり。
今のままではあまりにも「生活」というものに対する意識が低すぎるので。
家計簿なんて、今まで続いたためしがないのだけれど、これもがんばってみるかなぁ。

片手だけつないで

2002年8月18日
週末、サフィが我が家に泊まりに来た。
わたしのベッドをサフィに貸して、わたしはその隣りに空いている床にお布団を敷いて寝ることに。
土曜日はずっと、サフィに触れていたいデイで、それはもう昼間からサフィに宣言してしていたせいもあるのだろうけれど、わたしがサフィの手を掴んで寝たのは、わたし自身が驚いている。
サフィが、それをふりきらなかったこと。
それから、眠りに落ちる寸前に、わたしがサフィの手を離せたことに。
ベッドに横たわっているサフィは、わたしからは見えない。だから、感じるのはサフィの手の熱だけ。
それだけが、そこにサフィがいるんだということを証明してくれる。
わたしはどれだけ暑くても、好きな人にはどこか触れていたくて、サフィは、暑いのはとにかく苦手だからそれは拒絶する人。
だから、冷房を入れなくてもすむ程度の気温とは言え、サフィがわたしの手を振り切らなかったことは、ほんとうにびっくりした。とてもとても、嬉しかった。
眠さのあまり意識が朦朧としてきた時に、わたしはすいっとサフィの手を離した。
あぁ、少しはわたしも成長したかな、と後になって思った。

あるいは、もしかしたら、実はわたしがサフィの手を掴んでいた(握り合った、ではない)こと自体、わたしの夢だったのかもしれないけれど。
それはそれで、構わないと思う。
だから、サフィにも、そのことについては聞いていない。

わたしは、好きな人、好きなことができたら、その時手にしていたものをすべて放り投げて、両手で新たに好きになった人(あるいはもの)を握り締めてしまう。
対象が、どれだけ拒絶していても、裾のはしをぎゅっとつかんで離さない。
だから、周囲がほとんど見えなくなって、いろんな人にわたしが愛され、生かされているのだということがわからなくなってしまう。
そういう自分が好きじゃなくって、だから、サフィに対しても、そうならないように気をつけていたのだけれど、他の友人や、サフィ自身から、サフィが関東に引っ越してきてからのわたしの態度が結構違っている、と指摘されているから、結局だめなんだろうな。

今の目標は、両手でサフィを掴もうとしないこと。
片手は空けておいて、他のことに意識を向けられるようになること。周囲に対して、「アンテナ」を張っていられること。
年齢差がどうとかじゃなくて、きちんと、サフィを一人の人間として見られること。
それが出来たら、わたしは今度こそちゃんと一人で立てるのだと思う。
とても難しいことだと思うけれど、その先で、サフィと、片手だけつないで、一緒に歩いていけたらいいな。

完璧主義者

2002年8月14日
サフィはわたしのことをそう言った。
生まれて初めてそんな言葉をもらったので、驚いた。
わたしが誰かの愛情をしっかりと実感できるようになるまでに時間がかかったり、相手からものすごい量の愛情を要求したりするのは、わたしや他人に対して要求するレベルが高いからだそうだ。
それで、完璧主義者、ということらしい。
なるほど、と思った。
これだけぐうたらしているわたしに、そんな言葉を投げてくるあたりがサフィらしいと思ったし、好意的に見た感想だということがわかったからそう感じた。

ある本を読んでいて、登場人物のひとりが作中で言われた言葉がある。
「大切なものができたら、自分から一歩引きなさい。」
とりもなおさず、それはわたしのことだな、と感じた。
物理的な距離ではなくて、心理的な距離。
行ったり戻ったりしながら、サフィには多分わかっているであろう「距離」を、わたしは少しずつ探っていっている。
そうしていつか、物理的にも、心理的にも、お互いに大丈夫な位置にたどり着くだろう。
それが早く来ればいいな、と願っている。
まずは、きちんと自分の時間を取り戻すことかな。
最近、ようやくほんの少しだけそれが出来つつあるから、ちょっと嬉しい。

実はひそかに

2002年8月5日
友人たちが、夏バテでばたばたと倒れている最中、わたしはまったく普通に日々を過ごしていた。
今年は食欲もあるし、そこそこ眠れているから、夏バテしていないのね、なんて喜んでいた。
そうしたら、数日前から「あらら?」なことが重なって、もしかしたら、夏バテなのかしら、なんて。
日中、冷房の風が直接首筋にあたる場所に座っているから、冷房病なのかもしれない。
あとは、最近Tシャツ一枚ですごしているから、おなかが冷えたんだろうなぁ(いつもはその下にタンクトップかキャミを着ている)。
どっちにしても、気が付かないうちに体調が悪くなっていることに変わりはないし(苦笑)。
当面、冷たい飲み物は飲まないようにしなくちゃ。
なんていいながら、おうどんと揚げだし豆腐と緑茶でお昼を食べた後、冷たい飲み物飲んでいるわたし。「ピルクル」っていうおなかにやさしい飲み物だからよしということで……(^^;

サフィのことは、会ってまだ半年、という風に思うことにした。
好きな人だと(広義での)、わたしはとにかく身体的接触をはかりたがるんだけれど、それをいやがる人もいるから、そういう人にはわたしはほとんど接触を持たない。
好きな人がいやがることはやりたくないし、何より、その人を尊重したい、って思うから。
ということは、それはサフィにもあてはまる、ということで、わたしが他の友人とよくやるような、ハグや手を繋ぐことは、多分、サフィの中には意識としてないんだろうな。
「地元の友達でスキンシップ好きな子がいたからなれてるよ」ってサフィは言ったけど、それはつまり、「慣れているだけ」であって、「好き」なわけではないということだ。
今更といえば今更なんだけど(苦笑)。
そこらへんが、ちょっと見境がなくなっていたのかもしれないなあ、なんてやっと思えるようになってきた。
「嫌い」な人種じゃないことはわかっている。レベルの問題、ということ。
あー、そう考えたらちょっと楽になったかな。

会っているときは、ほんとうになんでもないのよね。ちょっとは、抱きつきたいなぁ、とか、髪の毛触りたいなぁ、とか思うけれど(笑)。
でもほんとう、普通に友達としてつきあっているのだ。
わたし自身が、距離のとり方をちょっと間違えているだけなのかも、なんて思う。
どうなのかなぁ……。結局、いつもここで堂堂巡りになってしまう。

2002年8月2日
久しぶりに、強い雷と稲光。
雨は、あっという間に降り出して、あっという間に去っていったけれど、どんどん夏らしくなっていくのがいい。
暑いのは苦手。
だけど、今年は開き直って(笑)ノースリーブをやたらと着ているので、まぁまぁ過ごせている。サフィに、「ノースリーブ多いよね」と言われたけれど、それは君が去年の私を知らないからだよ(笑)。

今日は、部屋の片づけをして、お客様用のお布団を干して(暑かった……)、副業(笑)の仕事をこなして、お夕飯を作っておしまい。
パジャマ、明日の朝洗濯しないと着るものがないな。困った……。

夜の海に立ち……

2002年7月31日
えいや、ってことでここオンリィの”あの人”の名前を決めた(笑)。由来はヒミツの”サフィ”だ。

で、金曜日にうちにお泊まりするのは確定しているんだけれど、いただきものの白桃がそれまで残っている確証がなくって、「桃はあんまり好きじゃない」と言うサフィに、「そんなことはないのよ。ちゃんとした桃はおいしいのよ」と言いたくて(笑・単なる地元贔屓)、急遽、お昼休みに白桃を渡すことに。
お昼に食べることと、刃物恐怖症で包丁が持てない人なので、変色することを承知で、皮をむいて、一口サイズに切って持っていくことにした。
保冷剤で包んで、ついでに冷蔵庫に入っていたチョコを放り込んで、出発。
ここ数日涼しかったせいで油断していた。……すごぉく暑い……。
近くのコンビニで待ち合わせて、白桃を渡す。「また後でねー」と別れてから、フォークを入れ忘れたことに気づいた(苦笑)。
慌ててメールを打ったら、会社にあるから大丈夫だとのこと。よかった(^^)
ひとりでお昼を食べていたら、メールが来て、「すごいおいしい。感動した。桃が嫌いって言って悪かった」だって。
勝利!!(笑)
白桃で育ってきたわたしとしては、これを食べずに「桃は嫌い」って言われたくなかったのだ。
いやぁ、気持ちいいなぁ(笑)。

お昼は一緒できないから、ということでお夕飯を一緒にお呼ばれしたのだけれど、なんだか、ほんとにサフィが生活の中心になっている自分に気づいて、ほんとうに今更なんだけれど、笑うやら、呆れるやら。
もうちょっと、時間が経てば落ち着くのかしら、と思うけれど、それがいつになるのかはわからないし。

サフィは、友達としても、とにかくものすごく大好きで。
わたしでできることがあるのなら、力になりたいな、と思う。
楽しいことや、嬉しいことが、サフィにたくさんあればいいな、といつも願っている。
そうして、それを、一緒に共有できたらどんなにか嬉しいだろう、って思う。
たぶん、そういう意味での恋なのかなぁ。
そういうの、もうどういう形でだっていいや、なんて最近は開き直りつつあるんだけれども(笑)。
全部ひっくるめて、サフィのことが大好きで。
うー、これを、当の本人に言えたら、どんなにか楽だろうと思うよ、ほんとうに……(泣)。
ずっとずっと一緒にいたい、って思うの。
何があっても大丈夫なくらい、それくらい強く繋がっていられたらいいのになぁ。

最近、ようやく”禁断症状”(笑)が出なくなったの。
これは嬉しいかも。
まぁ、日に何通もメールやりとりして、週2回ペースで会っていればそうもなるか(苦笑)。
ほんと、友達としては非常に仲が良いわけですのよ、我々は。えぇ、ほんとに……(遠い目)。

強さ

2002年7月29日
こまごまとしたものや、結構値のはる物まで、なんやかやで、同じ製品を買っていることが多い。
一緒の物がほしい、という気持ちがあることも確かだけれど、どこかで、同じ感性を持っているんだ、と思っていたいことも確か。

例えどんなに迷惑だと思われても、言われても、そんなことは気にしない。ずっと必ず傍にいる。
そんな風に思えるくらいに、自分が強かったらなぁ、と思うときがある。
そこまで強く出られる人間だったら、きっと恐いもんなしだよなぁ(笑)。
あいにくわたしは違うので。
相手を見つつ、折り合いをつけながら、えっちらおっちらやっていくしかないのだ。

恋じゃないのかもしれない。
それはもう、常に疑ってかかっている。
だけれども、触れたいし、手をつなぎたいし、抱きしめたい。ついでにキスもできたら嬉しいし。
それって、恋とどう違うの?
わたしの場合、それは単なるスキンシップのひとつなのかもしれない。
だけど、確実に、「わたし以外の誰かが恋人」というシチュエーションはとてもじゃないけれど頭と心が拒絶するほどに想像できない。
そこらへんが、自分でもよくわからない。

どういう流れだったか、子供の話になった時、
「結婚しなくても、自分の子供はほしいな」
とあの人は言った。
自分の遺伝子が残る、ということがすごいから、と。
そうしてわたしは、子供なんて産みたくないと答えた。
自分以外の子供なら、いとおしいと思うし(うるさくなければね)、構ってやってもいいし(なんだその高飛車っぷりは)、愛情を注ぐことに何の疑問も感じない。
だけれども、自分の子供、というのはだめだ。
あの人が思ったことを、わたしは逆にいやだと思う。
自分の遺伝子なんて、残したくない。これっぽっちも。
母は、孫が見たい、可愛がりたい、と言う。
将来、ひとりでいるのは淋しいしつらいから、離婚したっていいから子供は産め、と言う。
こんな時、わたしに兄弟がいればよかったのに、とつくづく思う。
兄弟がいれば、母にわたしじゃない子供が、孫を産んでくれるかもしれないのに。

わたしの遺伝子が、わたしの死後もこの世界に残っている、ということを考えるだけでぞっとしてくる。
あの人の子供だったら、わたしはどんな手段を使ってだって産んだっていい、って思う。
愛する人の遺伝子なら、わたしは残したい。
だけれども、わたしの遺伝子だけは残したくない。
だから、母に子供を産めといわれるたびに、ひとりっこのわが身がつらく、また、申し訳ないと思う。
病気になって、動けなくなった時にどうするんだ、と母は言う。
それこそ、自分の子供になんてやらせたくないよ?
(わたしがやりたくない、ということではなく)
できることなら、死期が近づいたなら、一人でひっそりと死んでいきたい。
それが叶う社会じゃないことは、重々承知していても。

ひとりでいることは、とても難しい。
ひとりでいたいと思っていても、気が付くとあの人のことを想うし、あの人とずっと一緒にいたいと願っている。
もしかしたら、何かを期待して、待っているのだろうか。

時間

2002年7月23日
自分に自信がない、と言われたことの意味を、ようやっとわかったような気がした。
つまりそれは、もしかしたら、年月なのかもしれない。
日曜日、定例会に出ないでサッカーを観にいったのだけれど、そのことで両親にちょっぴり言われた。
「今しかない」のは、定例会もサッカーも同じだ。
ただ、わたしにとって10年来の友人たちというのはかなりなスペシャルなもので、それと同時にここが絶対の基盤だってきちんとわたしはわかっている。
人にわかってもらえるような言葉に置き換えるのはとても難しいのだけれど、それは確かにそこに在る、という認識と確信を持てている。
だからきっと、それは「自信」なんだろうな、と思う。どれだけ両親が不審そうな目を向けてもね(笑)。

もっと早くに出会えていたら、と思う友人がたくさんいる。
ほんの数年のつきあいで、何かを理解できることは無理なことがわかっているから、もっとわたしが若い頃に出会っていたら、きっと今はもっと深いつきあいができるんだろうな、と。
だけれども、それと同時に、その頃のわたしじゃ、ダメなんだろう、と思う。
今のわたしじゃないと、きっと友達にはなれなかった。
それだけは、とてもよくわかる。
月日が飛ぶように過ぎていくことに対する恐怖かもしれない。
何もなさないまま別れの日がやってくることを、実はとても恐れている。
まーでも、いっくらあがいたって無駄なんだから(笑)、それはわりきらないとね。
友人全員に対して、「確信」を抱くことは不可能だし、そこまでしたくはない。
ただ、大事な友人には、もっと深いところでつながりあっていたいと思う。
そういうことを、特に強く、あの人に対して思うのかもしれない。
だからこそ、のこの想いなのかもしれない。
わたしが、あの人とのつながりに対して、深い確信を持つことができたら、こんな風に少しのことで動揺したりはしないのかもしれない。
そう思う。
ほんとうに、とてもとても難しい。
友人たちと4人で話をしていたのだが、わたしとあの人(この書き方もどうかなぁ、と思うので、何か適当な名前をつけようかな……)のやりとりを、他の二人が「かけあい漫才」と笑っていた(苦笑)。
こっちは頭をフル回転で話しているんだってば!
大変だよ、ほんとにもう。ちょっとでもぼーっとしていると「スルーされた」って言われるし、向こうもわたしがつっこんでくることを期待しているから、それはもう思考のギアを上げていくしかない。

高校生の時だったか、「頭の回転が速いね」と誉められたことがあって、自分でもそうなんだ、と思っていたのだけれど、数年前からは、実はそうじゃないんだ、と感じるようになった。
実際、うまく返せた、と思えることは少なくて、丁丁発止のやりとりなんて、夢のまた夢、状態の方が多い。

あの人がわたしに求めていることは、できる限り応えたいと思う。
それが、わたしの望むことではないにせよ、欲しいものはみんなあげたい。
そんなわけで、今日もまた少ない脳みそでなんとかこなそうとしている。

それでもきっと、あの人の望む地点まで到達していないのだろうけれど。

わたしの時間

2002年7月16日
わたしは、もっと、ずっと、わたしの時間を大切にしなくちゃいけないんだと思う。
わたしにはわたしの時間があって、わたしにはやらなくちゃいけないことがあって、わたしにしかできないことがあって、それを、もっと大事にしなくちゃいけないんだと思う。
「いちばん」になりたいって思うけど、「こころを占めたい」って思うけど、でも、どこかで、余裕がないと駄目なんだろうな、そういうのって。
ぜんぶ、そのことだけになってしまったら、きっとわたしも相手もつまらなくなる。
知らない部分、知らせていない部分があって、それでちょうどいいんだろうな。

そういうことが、あんまりわからなくなっていて、それがこわい。
あー、周りが見えなくなっているんだなぁ、ってそのたびに気がつく。

わたしは、わたしの時間を大切にしなくちゃね。

独占欲

2002年7月14日
複数人数で会っていて、わたし以外の人としゃべっているのを見ていると、どうにも我慢できなくなって、両手で顔をはさんでこっちに向かせたくなる(笑)。
一緒にいた子が、とても純粋でかわいい(容姿がどうこう、というのではなくて、存在が、という意味)から、余計なんだろうなぁ。あの人と腕を組んでるともう、無邪気な人はいいなぁ、なんて思ってしまう。この間は、あの人がどうしてそれをやったのか、その理由はなんとなくわかっているのだけれど。

あの人にとって、わたしが「一番」になれればいい、と願っている。
だけど、現実はそうじゃないことを知っている。
あるいは、もしかしたらそうなのかもしれないけれど、わたしはそれを確信できない。だから、自信がない。
それが、独占欲として出てしまうのかもしれない。
例えば、あの人にとって、わたしという存在が心の中である程度を占めている、というのをわたしがきちんとわかっていたとしたら、きっとこんなことにはならないんだろうな。
行動から推測するだけで、それは確信を伴ったものではない。
だから、ずっと二人で一緒にいたい、って思ってしまうのかもしれない。
愛人じゃなくて、本妻になりたいんだ、って書くと問題がありそうなんだけど(笑)、気持ちとしては、これが一番近いと思う。

そういうのが、半年やそこらで確立されるものでもないことはわかっている。
わたしにはとても特別な友人たちがいて、彼女たちとは、もう10年以上のつきあいになる。
だからこそ、普段、一緒にいなくても、年に数回しか会えなかったとしても、大丈夫だ、って思えるんだと思う。わたしの存在が「一番」じゃなくても、わたしと彼女たちのいる「場所」が、わたしを含め、彼女たちにとって、「確かなもの」であるから、わたしはずっと安心していられるし、何があっても大丈夫だ、って思える。
そういう風に、あの人ともなれたらいいな、と思う。
なんだか今は、お互いにとって心地のよい距離がはかれなくて、どこまで近づいていいのかわからなくて、恐くて、触れられないでいる。
あんまりにも好きで、もったいなくって触れない、というのもあるんだけどね(笑)。

堂々巡り

2002年7月11日
その先の未来と、今の幸福と、一体どちらを取ればいいのかな、と思ったりする。
泣きたくなるくらいにはあの人を好きなのに、「その先の未来」を思うと何も言えなくなってしまう。
どれだけ、あの人のことを好きなんだろう。
あの人と離れる日が来ることを考えると、もうそれだけで胸がつまってしまって。
その時、わたしは笑顔でいられるのか、それとも泣いてしまっているのか。
今のままなら、きっと泣くだろう。
今までの過去と、未来を否定されるのが恐い。
わたしの中ではラインがあるのに、それは、他の人にはわからないから。
どこまでがそうじゃなくて、どこからがそうなのか。
そんなことは、わたし以外にはわからない。

会いたくても、会いたいと言えても、底にある言葉はずっと沈んだまま。
幾重にも重なりつづけて、やがて真珠みたいに綺麗な欠片になればいい。
そんな風な、恋になればいいのに。


明日、会って泣いちゃったらどうしよう……。
すごく気持ちがゆらゆらしてて、足元がぐらぐらしてて、わたしの中にあるはずの「核」がどこかに行ってしまっている。
本業の方がせっぱつまってて、精神的にあやういのが確実に影響されているんだろうな……。溜息。

そういう性質

2002年7月7日
あの人と会っていない時に、好きという気持ちが強くなって、「次に会う時に言ってしまうかもしれない」なんて思うようになった。
そう言えば、前にもこんなこと考えたことがあったよなぁ、と思っていたら、4年前に好きだった人が、そうだった。
結局、その人には何も言わずに終わってしまったのだけれど(多分、気が付いてはいただろうな。とても勘の鋭い人だったから)、言わなかったことを後悔はしていない。今でも、普通に友人としてつきあっているし、何よりそれが大事だったから。
「言ってしまうかもしれない」と思いつつ、でも実際に会うとそんなことはない、という状況になったのは久しぶり。
それと同時に、そんな気持ちがあったことすら、すっかり忘れていた自分に気づいた。
その人を好きだった、ということは覚えているのだけれど、その時、わたしがどんな気持ちでいたのか、記憶から消し去っていた。(それに気づいた今は、大体思い出してきたけれど)
自己防衛本能なのかなぁ、これは。

そうして、4年前に好きだった人に対して思ったことと同じことを、今好きな人に対しても思ったことで、本当にこれは「好き」でいるんだ、とようやく実感できたような気がする。
会えないと呼吸ができなくなるような感覚に陥るとか、好きだと伝えたくてたまらないのに実際会うとだめだとか、一緒にずっといたいとか、抱きしめてあげたいとか。
そういうのは、ほんとうに好きな人じゃないと感じないことのように思う。

それでもって、ここのところ占いとか相性とか妙に気になってみてしまうのだが(笑)、星座でも、曜日でも、わたしは結局のところ相手に愛情を惜しみなく注ぐことに変わりはないらしい(大笑)。
ほら、だからやっぱり愛されるんじゃなくって、愛するのがわたしの性質なのよ、絶対(笑)。
気持ち良いと思っているんだもの。
貢ぐとか、尽くすとか、そういうのとはまた違うんだけれどね。

もしかしたら短い期間でこの気持ちは終わってしまうかもしれない。
だから余計に、大事にしたいなぁ、って思うし、機会があれば言えたらいいのに、って思う。<冒頭に戻る、というト書き入れたいなぁ(笑)。

酸素

2002年7月5日
毎週、2回くらいは平気で会っていて、それが数ヶ月も続いてしまえば、もはや当然のこととなってしまう。
過呼吸だったのかな。
水曜日の夜、突然、胸がつまって、息苦しくなって、どうしようもなくなってしまった。
日曜日に会ったばっかりなのに、本当にどうしても会いたくて会いたくて仕方がなかった。発作みたいに。
ガリガリと、手帳に文字を書いて気持ちを沈めて、あぁ、酸欠だ、と思った。
空気みたいに、そこにあるのが当たり前になってしまっていて、ないと呼吸すら満足にできなくなってしまっていたことが、とても怖かった。
どうなってしまうんだろう、と。
慣れというのはとても恐い。
特別だったことが当たり前になって、当たり前だったことが大したことじゃなくなってしまう。

ぜーぜー言っていたわたしの携帯電話が鳴った。
なんとなく予感めいたもの(あるいは願望だったのかもしれない)があって、慌てて二つ折りの携帯を開く。

あの人からだった。

土曜日、サッカーのチケットが手に入ったから行かないか、と。
声が、いつもの声が出せなかった。
心底疲れた時に出すような、甘ったるい声しか出せなくて、普通の声はだめだった。
実は今、とても忙しくて、ほんとうは行っている時間なんてなかった。
でも、駄目で。
「どうしよう」と口走りながら、心はもう飛んでいた。
行く、と決めていた。
「行きたい」と、わたしは言った。
それで、決まった。


共通の友人曰く、わたしは、あの人にとってプライオリティの一番らしい。<ある特定のことについてだが、もちろん。
それは、とても嬉しい。
けれど、あの人とわたしは同年代で(同い年だと思っている。お互いに)、だからこそ、わたしに甘えてくることはないんじゃないかなと、友人が言っていた。
環境が変わって、あの人が精神的にも、肉体的にもとても疲れていることをわたしは薄々知っていて、だからこそ、何かの力になれたらいいのに、と思う。
だけど、あの人はわたしが抱きしめてあげたいと思ってもそれを拒絶するし、私には寄りかかるまいとしている。
ならばわたしは見ていよう、と思うのだけれど、わたしの性格からして、黙って見ているだなんてどうしてもできない。
内に溜め込んでしまうあの人に、大声でわめいていいのよ、と、ぎゅっと抱きしめながら言ってあげたい。

不足しているのは、あの人という酸素と、わたし自身の勇気のなさだ。

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