祈り
2001年11月5日密やかに、わたしは祈る。
誰かが生きている。
この世界のどこか。
わたしの隣りで。
わたしと背中合わせで。
わたしの知らないところで。
息をし、
物を食べ、
いらないものは捨て、
微笑み、
愛し、
愛されながら。
けれどわたしにはわからない。
彼ら、彼女らのこころが。
気持ちも。
知らない、知らされていないことはわかりようがない。
わたしに言わないということは、わかってほしいことではないのだと思っている。
伝える手段を持っていないのかもしれない。
わたしを知らない人は、みんなそうだ。
けれど、わたしを知っている人、わたしが知っている人でもそういう人はいる。
何かを伝えるということは、実はとても難しい。
同じ空を見て、「青いね」とわたしと誰かが言ったとしても、その青さは違うのだ。
それでもそこには、記号としての「あおさ」がある。
青。蒼。藍。碧。
どのあおさかは、本人にしかわからない。
空気を媒介して伝わる言葉には、あらゆる意味を含む曖昧さと寛容さが必要だ。
けれどそれでいい。
伝えたいと思うのなら、それは確かに伝わるのだから。
だからわたしは祈る。
こうやって書いているものが、誰かに、何かを、伝えられることを。
わたしの書くひとつひとつのものごとが、確かに希望を伝えるものであることを。
誰かが生きている。
この世界のどこか。
わたしの隣りで。
わたしと背中合わせで。
わたしの知らないところで。
息をし、
物を食べ、
いらないものは捨て、
微笑み、
愛し、
愛されながら。
けれどわたしにはわからない。
彼ら、彼女らのこころが。
気持ちも。
知らない、知らされていないことはわかりようがない。
わたしに言わないということは、わかってほしいことではないのだと思っている。
伝える手段を持っていないのかもしれない。
わたしを知らない人は、みんなそうだ。
けれど、わたしを知っている人、わたしが知っている人でもそういう人はいる。
何かを伝えるということは、実はとても難しい。
同じ空を見て、「青いね」とわたしと誰かが言ったとしても、その青さは違うのだ。
それでもそこには、記号としての「あおさ」がある。
青。蒼。藍。碧。
どのあおさかは、本人にしかわからない。
空気を媒介して伝わる言葉には、あらゆる意味を含む曖昧さと寛容さが必要だ。
けれどそれでいい。
伝えたいと思うのなら、それは確かに伝わるのだから。
だからわたしは祈る。
こうやって書いているものが、誰かに、何かを、伝えられることを。
わたしの書くひとつひとつのものごとが、確かに希望を伝えるものであることを。
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