まじめな話は難しい
2002年9月2日日曜の夜、大学時代の友人とネットでしゃべった。
彼とは、真面目な話もわりとするのだけれど(同時進行で、馬鹿話もする(笑))、どういうわけだか昨日は恋愛話に。
前々からサフィの話はしていたのだけれど、わたしがサフィを好きだ、ということは特に言っていなかった。ただ、わたしの口調で察したのか、わからざるをえなかったか(笑)のどっちかなんだろうけど、「自分の思い通りに行くなんて幻想だよね」なんてことを言われて、どきっとした。
彼は人生について、そういう風に言ったのだけれど、それは恋愛についても当てはまるし。
ちょっと、サフィを都合よく見てはいやしなかったかと、反省したりもした。
「これだけ愛情を示しているのにまだ足りないか!」とサフィに時々苦笑まじりに怒られたり、「ほんと完璧主義だね」とあきれられたりする。
それで、気が付いた。
もしかしたらわたしは、「もらうこと」ばっかりで、「渡すこと」をしていなかったのかもしれない、と。
物理的なプレゼントは好きでよくやるけれど(これは、サフィに限らず、いろんな人に。プレゼントを選ぶ時間が、わたしはとても好き)、言葉としてのプレゼントはあったかな、と。
ちゃんと、きちんと、「大好き」なこと、「とても大事に思っている」こと、「必要としている」ことを、言葉として、音にして、サフィに伝えていたのかな、と。思い当たらないと言うことは、きっとしていないんだろうなぁ。反省。
3年も経って今更、という照れもある。
でも、だからこそ、というのだってあるはずだし、それをサフィがどう捉えるかというのは別にして、言わなきゃならないことなんじゃないかな、と思った。
言うタイミングなんて知らないし、わからないし、すっごく困るんだけど、そういうのは(苦笑)、でも今度、サフィに会った時に、言ってみようかと思った。
それと同時に、サフィ以外にも、わたしを好きでいてくれる人、わたしが好きでいる人に、笑われてもいいからそういう気持ちを伝えたいな、と思う。
さりげなく言えるのが一番かっこいいのだろうけど、わたしにはそれは無理(苦笑)。
彼とは、真面目な話もわりとするのだけれど(同時進行で、馬鹿話もする(笑))、どういうわけだか昨日は恋愛話に。
前々からサフィの話はしていたのだけれど、わたしがサフィを好きだ、ということは特に言っていなかった。ただ、わたしの口調で察したのか、わからざるをえなかったか(笑)のどっちかなんだろうけど、「自分の思い通りに行くなんて幻想だよね」なんてことを言われて、どきっとした。
彼は人生について、そういう風に言ったのだけれど、それは恋愛についても当てはまるし。
ちょっと、サフィを都合よく見てはいやしなかったかと、反省したりもした。
「これだけ愛情を示しているのにまだ足りないか!」とサフィに時々苦笑まじりに怒られたり、「ほんと完璧主義だね」とあきれられたりする。
それで、気が付いた。
もしかしたらわたしは、「もらうこと」ばっかりで、「渡すこと」をしていなかったのかもしれない、と。
物理的なプレゼントは好きでよくやるけれど(これは、サフィに限らず、いろんな人に。プレゼントを選ぶ時間が、わたしはとても好き)、言葉としてのプレゼントはあったかな、と。
ちゃんと、きちんと、「大好き」なこと、「とても大事に思っている」こと、「必要としている」ことを、言葉として、音にして、サフィに伝えていたのかな、と。思い当たらないと言うことは、きっとしていないんだろうなぁ。反省。
3年も経って今更、という照れもある。
でも、だからこそ、というのだってあるはずだし、それをサフィがどう捉えるかというのは別にして、言わなきゃならないことなんじゃないかな、と思った。
言うタイミングなんて知らないし、わからないし、すっごく困るんだけど、そういうのは(苦笑)、でも今度、サフィに会った時に、言ってみようかと思った。
それと同時に、サフィ以外にも、わたしを好きでいてくれる人、わたしが好きでいる人に、笑われてもいいからそういう気持ちを伝えたいな、と思う。
さりげなく言えるのが一番かっこいいのだろうけど、わたしにはそれは無理(苦笑)。
コメント